昭和63年開院、お蔭様で36年目を迎えました。

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椎間板ヘルニア&脊椎側弯症 -難症患者の治療奮闘記-

患者さんの治療体験手記・・・
『歪みきった身体が骨盤調整で治った!』

群馬県太田市 萩原祐子さん(仮名・26歳)

私が、病院の整形外科で椎間板ヘルニアと診断されたのは、平成15年でした。その時に、大きく背骨が曲がる側弯症ということも分かりました。腰が曲がり、左足の痛みとしびれで寝返りもうてず、手術しかないと思っていました。当時は、自然良能会のことはまったく知らなかったので、悩んだ末に手術を受けました。
術後は、今までの痛みはまったくなくなり、完治したと思い喜んでいました。

しばらくして、妊娠、出産、子育てと忙しい毎日を送っていると、また左足にあの時と同じ痛みが感じられました。「もしかして、また・・・」と思いながらも、「そのうちに治るだろう」と考えていると、どんどん悪化してきました。
そして整形外科へ行き、やはり椎間板ヘルニアと言われました。担当の先生には「2回目だし、手術しても3回目の再発もあるかもしれない。そうしたら3回目は手術できなくなる。慎重に考えた方がいい。」と言われました。

私も子どもがいるし、入院はできない。それにもう手術は嫌だし、周囲の反対もあり、どうにか治らないかと思いつつ毎日の過ごしていたある日、五味雅吉先生の、「椎間板ヘルニアは手術なしで治る」という本を読んだのでした。
そして「これだ」と思いました。その本の末尾に紹介されている全国の治療所の中で、もとっも近いところが自然良能会・足利支部の小澤先生のところでした。そこで治療を受ける決意をしたのでした。

平成18年5月の事でした。小澤先生に見てもらうまでにはどんどん悪くなり、腰は老人のように前に曲がり、伸ばそうとしても左足にしびれ、つっぱるような激痛に悩まされ、頑張って伸ばしても身体全体が左に曲がってしまう。「私の身体はいったいどうなっちゃったんだろう?」と思い、憂鬱な毎日を送っているばかりでした。

その頃には、子どももやんちゃになり、外で遊びたいだろうに、私が動けないばかりにとても可哀想な思いをさせてしまっていました。それに家事もしなければなりません。本当につらい毎日でした。
初診の日、小澤先生はまず人体の構造から始まり、骨盤の歪みがいかなる影響を与えるかを、詳しく説明してくださいました。それはとてもわかりやすく、今までの医者の説明では納得いかない事が多かったのに、1回聞いただけで納得できるものでした。

それから毎日、主人、主人の両親の協力もあって、子どもと一緒に遊びたい、もちろん治したいという思い出診療所通いが始まりました。

最初のころは、腰が前に曲がった状態なので、骨盤調整機・骨盤矯正にも乗れません。バラコンバンドを体中を巻いても痛くて腰が回せません。治療も、ちょっと身体に触れられると、悲鳴をあげ、冷や汗が出るほどの痛みでした。うつ伏せになる時はおなかの下に座布団を入れ、仰向けでは、ひざは伸ばせず曲げて治療を受けていました。

そして一つひとつ治療のたびに、身体を起こしての「休憩」の繰り返しでした。どれだけ時間がかかったことでしょう。それでも先生はあせらず、ていねいにゆっくりと治療をしてくれました。

1ヶ月~2ヶ月くらいは、治療後は痛みがひどくなったり柔らいだりの繰り返しでした。
「こんな治療で、本当によくなるのだろうか?」と不安もありましたが、先生の「それは好転反応だよ」の言葉で安心することができました。3ヶ月目くらいになると、座布団がとれ、治療中も悲鳴をあげることが少なくなりました。そういった日々の治療の変化が、身体で感じてわかるようになると、毎日の治療所通いが楽しくなりました。明日にはもっと良くなる、そう確信してきたのはこの時期に入ってからです。

そして、4ヶ月目に入った9月には急速に良くなってきました。骨盤調整機にも乗れるようになり、治療中も悲鳴をあげることもなく、仰向けにねてもひざを伸ばしても痛くない。静かに寝て、治療を受けることがこんなにうれしく思ったことはありません。

小澤先生にお世話になって、半年が過ぎようとしていました。
毎日通うのは本当に大変でした。家から足利支部まで遠くはない距離ですが、子育てもあり、家事もしなくてはなりません。家族の協力が本当にありがたかったです。自分の身体は自分で治すしかありません。しかし、腰が痛く通うのさえつらく、大変な思いもしました。そんな時、先生に「通えるだけでも良いと思わなきゃ!」と励まされて頑張ってきました。日々の治療でも痛いところや不安なことを聞くと、的確に答えてくれて、気持ちの面でもとても支えてもらいました。

今では先生に「実は背が高いんだね。」と言われるほど、腰も伸び、身体の傾きもだいぶ治り、子どもと公園へ行ったり買い物に行ったり、毎日楽しく過ごせるようになりました。

今では私の姿を一番近くで見ていた主人も、小澤先生にお世話になっています。
思い返せば、半年前の激痛がウソみたいに思われます。椎間板ヘルニアになり大変な思いもしましたが、ヘルニアにならなかったら自然良能会のことを知ることはなかったでしょう。そうして、骨盤調整という素晴らしい治療法にも出会えなかったのでした。縁でしょうか、小澤先生にも出会えたことにとても感謝しております。

治療をしてもらい、「ヘルニア自体の痛さは2~3割で、その他の痛みは骨盤のズレ、筋肉の硬直、血流の悪さからくるもの」という先生の言葉を実感する毎日です。

日々よくなってきますが、まだまだ油断はできません。毎日のバラコン運動(骨盤回し)を頑張り、もっとたくさんの人にこの骨盤調整・骨盤矯正を知ってもらいたいと思いながら、私は毎日の治療に励んでおります・・・。

平成18年11月・記

 

院長より

一進一退の状態を恐れずに前向きな気持ちで治療を・・・
右の写真は骨盤と足と肩にバラコンバンドを巻いて頑張っているところ

椎間板ヘルニアと側弯症。写真を見てもおわかりのように身体が前に大きく曲がり、そして横にも曲がっている。ひどい状態だ。こんな患者さんは、自然良能会・足利支部開設以来、二十年間でそう何人もおりません。

初診は、平成18年5月16日(火)のことでした。とにかく、MRIの検査でも20分と入っていられず、飲み薬、坐薬、注射も効かないというのです。もともと側弯症があったものの、ここ3ヵ月くらいでひどくなってきたそうです。
初診の時、ひと通り説明して施術に入ろうとしたのですが、うつ伏せになれない。それならば、ということで座ぶとんを二枚お腹の下に入れてみました。(なんとかなるかな・・・・・・)そう思ったのでしたが、腰にちょっと手を触れてみても激痛を感じるという。それでは仰向けになってもらおうと、やっと仰向けになったものの、膝は曲がったまま伸びない。
「普段は横向きで寝ているのです」といいます。とにかく動かせるところから動かそうと、膝をさらに深くお腹の方へ曲げてみる。痛がっていました。軽く調整する。もう一度うつ伏せになってもらい、背中から腰にかけて軽く指圧をしてみました。だが、一分と同じ姿勢をして寝ていられない。座ってもらう、また寝てもらうの繰り返し。坐骨の押し上げの後、仙腸関節(骨盤の中の一対の関節)に踵を当てようものなら、悲鳴一発、顔は歪んで、それはひどい状態でした。

座ってもらって一休み。正座をしてもらいました。その姿勢が今のところ一番、楽らしいのです。また施術に入る。足首をゆるめ、膝を曲げてみる。臀部全体をゆるめ、大腿部をゆるめましたが、骨盤調整法・骨盤矯正の一通りの流れの中で仙調関節部だけは痛くてダメ。そこで考えました。坐骨に施術者の土踏まずを当ててみる、そして、押し上げてみた。痛くないという。これだ!ようし、坐骨の押し上げを徹底してやってみよう。

これだ!ようし、坐骨の押し上げを徹底してやってみよう5月26日(金)。施術を待っていたH.Yさんが、以前やはり身体の曲がっていたYさんと一緒になったので、Yさんの施術経過を話してもらうことにしました。実際の患者さんの話は説得力があるからです。やはり得るものはあったのでしょう。励みにもなったと思います。そして私にも、Yさんの以前の症状、施術過程をいろいろ質問してきました。

坐骨の押し上げを左右100回ずつやってみようと決めました。しかし、これも100回つづけてできるほど甘くはありませんでした。十回押し上げるだけで限界。座ってもらって一休み。それを左右に施す。そしてまた十回ずつ。毎日これを100回ずつ、かならずするようにしました。

6月14日(水)、左の仙調関節が初めてグキッと、軽い音をたてて入りました。よし、これでいい。
その後、仙調関節の調整は前よりも痛がらずにできるようになっていきました。坐骨の押し上げも、このころになると左右20回ずつつづけてできるようになっていました。

8月に入り、ようやく仰向けの状態で両足が伸ばせるようになってきました。でも、まだ両膝は浮いたままです。それまで、1~2分おきに休憩(座ってもらう)をとっていたのが、つづけてできるようになってきました。
8月18日(金)。その日から座ぶとんなしで施術することにしました。膝も伸びるようになり、身体もだいぶ伸びてきた、とお互い顔を見合せ喜んでいました。

9月に入っても、毎日々々同施術がつづく。でも、お互い手応えを感じ、明日はもっと良くなるか、来週はどこまで良くなるかと、楽しみになってきたという感じでした。
そして、9月の末には本当に良くなってきました。身体は伸び、改めて、H.Yさんが背が高いのにも驚いたものでした。痛みも8~9割方良くなってきた、と本人が言っていました。

H.Yさんは、途中、「一進一退」「二歩進んで一歩後退」を繰り返していましたが、痛い痛いと言いながらも決して笑顔は忘れず、私との会話も常に前向きで、「先週よりいいです」「以前から思えばずっといいです」と言い続け、頑張ったのでした。
H.Yさんの手記の中にもあるように、毎日の施術を3ヶ月、4ヶ月つづけるというのは、ご家族の協力なしでは絶対にできることではありません。
H.Yさんがご主人、そして両家のご両親に心から感謝していたということを書き添えておきたいと思います。

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