昭和63年開院、お蔭様で36年目を迎えました。

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椎間板ヘルニア

椎間板ヘルニア -骨盤調整のすばらしさを身をもって知って-

椎間板ヘルニア -骨盤調整のすばらしさを身をもって知って-
調整治療報告・・・
『現代医学で治らなかった症状がみるみる解消して!』


茨城県古河市 高岸優 さん(仮名・30歳)

私が骨盤調整と出会ったのは、昨年(2001年)の8月も終わろうとしていたころでした。しかし、椎間板ヘルニアに罹ってすぐに出会えたわけではありませんでした。私が骨格などに変調を感じたのは、今から十有余年前のことです。当時、受験勉強のため机に向かうことが多く、そのせいか胸骨、肋骨のあたりがボキボキと鳴るようになって、その時は息もできないほど苦しい激痛に見舞われるようになりました。

その後、学校を卒業して就職しました。それからしばらくたった27歳の夏ごろ、右臀部に筋肉痛のような痛みを感じ、(何で右の臀部だけ筋肉痛になるのだろう?)と不思議に思っていました。ところが、その年の冬、営業者から降りようとしたところ、とても筋肉痛とは思えない痛みが走り、その場にうずくまってしまったのでした。それからもしばしばそのような症状が起こりましたが、なんとかごまかしごまかし会社に通っていました。しかし、家で本棚の整理をしようと、本を三冊ぐらい持った瞬間に、右臀部から右下肢にかけて今までに感じたこともないような激痛が走り、そのまま倒れ込んでしまいました。体勢を立て直そうと、手や足を動かそうとするのですが、少しでも動かすと激痛が走ったのです。

(自分はこのまま動けなくなってしまうのではないのか・・・)と不安に思ったほどでした。なんとか動けるようになり、会社を休んで整形外科で診察してもらうと「椎間板ヘルニア」と診断されました。そして電気療法と牽引を一ヶ月ほど続けましたが、会社をいつまでも休むわけにもいかず、会社に復帰しました。冬場などは、身体を冷やすと痛みも強くなるので、つとめて冷やさないように注意していました。しかし、おととしから昨年にかけての冬に、また痛みが増してきました。自分の年齢のことなども考え、いま治療に専念しようと思い、昨年の春に退社しました。

近所に椎間板ヘルニアを治せる治療院はないかなと探そうと思っていたのですが、A型肝炎に罹ってしまい、入院生活を余儀なくされたのです。退院後に友人の紹介で近所の整体院に通うことになりました。しかし、身体は良くなるどころか痺れがひどく出るようになりました。そこで私は疑念が生じ、質問をぶつけてみました。

「この治療法で、骨格なども含めて完治するのですか?」と。そしたら、「骨格などはともかく痛くなくなればいいんでしょう」と言われました。たとえいま痛くなくなったとしても、数年後に再発したら意味がないと思い、私はすぐに本屋に向かいました。そこで見つけたのが、五味先生の「椎間板ヘルニアは手術なしで治る」でした。さっそく買い、一気に読みました。そして、その日のうちに小澤先生のお世話になろうと思ったのでした。 本来なら電話をしてから伺うのが礼儀だとは思ったのですが、いかにせん足利に土地勘がなく場所がわからなかったため、電話をせずに地図と住所を頼りに車を走らせました。

小澤先生の治療院を発見したのは、もう夕方になっていました。結局アポをとらずに治療院に入っていきました。大変迷惑なことをしてしまったと反省しております。                        >>待合室で待っている間も、熱心に腰を回している人がいて、他の所とは違う熱気みたいなものを感じました。先生に診てもらうと、仙腸関節がずれているために生じた症状であることを丁寧に説明してくださいました。施術を受け、その後に前屈や後ろぞりをやり、以前より曲がるようになっていました。

「一緒にがんばりましょう」と励ましてくれました。そして治療院を後にして車に乗り、運転しようと思った時、まるで自分の身体が宙に浮いているかのように軽くなっていたのでした。あの時の感激は今でも忘れられません。それからは毎日のように通い、現在に至っています。胸骨、肋骨のあたりは今でもボキボキと鳴るのですが、痛みはほとんど感じなくなりました。右腎部から右下肢にかけての痺れや痛みに関しては、痺れの方は最近はまったく感じません。痛みも若干の違和感はあるものの、以前と比べれば格段によくなりました。しかも十月の末ごろ、私の母もギックリ腰になって、小澤先生の所にお世話になりましたが、今では痛みがなくなり喜んでおります。また私も母も周りの人に姿勢が良くなったと言われるようになりました。

小澤先生には骨盤調整を施術してもらったのみならず、公私にわたり相談にのってもらい感謝しております。これからも毎日バラコン運動を続けながら前向きに生きていきたいと思っております。

 

院長より

最高の学びの場を得た高岸さんにエールを・・・
骨盤調整の素晴らしさを身をもって知って!

「先生、内弟子になりたいんですが・・・」
患者として足利支部に来ていたさん高岸さんに、突然そう言われた私は、一瞬びっくりした。1月のことでした。その言葉の真意を尋ねると、「小澤先生の治療を受けてみて、自分もこういう治療の仕事につきたいなあと思ったんです」という答えでした。
茨城県古河市に住む高橋さんは、現在30歳。足利支部に始めて来たのは昨年の8月だった。訴えた症状は椎間板ヘルニアだということで、それから毎日、片道一時間ほどかけて足利まで治療に通っているのです。実に熱心な患者さんです。
高岸さんがそんな気持ちになったのは、昨年の暮れごろからだ、といいます。それは骨盤調整という治療の素晴らしさを身をもって知ったもので、その思いはよく理解できます。たまたま今年の新年号に、「自然良能会の次代を担う本部研修スタッフについて」と題した、内弟子制度の意義について述べている記事が掲載されていて、それを読んだ高橋さんの気持ちはさらに強くなったようです。希望が決意に変わったのでしょう。

真剣な彼の口調に、「それならば次(2月)の定例講習会に一緒に行ってみますか。決めるのはそれからでもいいんではないの」と答え、その夜、新年号の記事を改めて読み返してみたのであります。そこには五味会長が常々説く自然良能会は「現代の適塾たらん」という熱い思いが語られ、悩み苦しむ人々を確実に「治す」技量を要する治療家を育成するためには、内弟子制度がいかに意義のあるものかということが披瀝されていたのだった。「うーん、なるほど」と思い、高岸さんが真摯に治療法を習得したいのであれば、私のところよりは五味会長の膝下で直接指導を受けるほうが数倍も当人のためになると考え、次の日に顔を出した高橋さんに、私の気持ちを伝えたのであります。「次の講習会まではまだ日にちもあるし、本当にその気なら、記事の末尾に『本部事務局までお問い合わせを』とあるんだから、直接本部に連絡して、話を進めてみたらどうだろう」

そう言うと、「ハイ、わかりました」と言って帰ったのであったが、翌日来ると、「先生、内弟子になることが決まり、3月から行くことになりました・・・」高岸さんのその言葉にはビックリしました。私の言葉ですぐに本部に電話したところ、会長のいる時間にもう一度電話してくださいと言われ、再度すると会長が出られて直接話をして、即決で決まったというのです。前会長の五味雅吉先生も、現会長の五味勝先生も弟子育成には努力を惜しまぬ人で、真剣に骨盤調整を習いたいという者には実に熱心に指導してくださる。自然良能会を生きいきとした組織にするには「新しい波」が必要だということを痛感されているからであって、また誰にでも門戸を開く広い度量が同会の「良き伝統」になっていると私は思い、感服いたしました。そうした相互の熱意と熱意が合致し、即断即決になったのでしょう。また、ここに骨盤調整の新しい芽の誕生であります。

何年間かの内弟子修行はつらいこともあろうかと思います。しかし、高岸さんが自ら選んだ道であり、確実な治療技術を体得する「確かな時間」なのであります。全てが「学び」の場なのです。

身体で覚え、実践で鍛えた技術は一生のものであります。内弟子の修行は技術と治療するものの心を「学ぶ」最良の場であると思います。高岸さんとは縁のある私としては、彼が一人前の治療家となって開業して、私たちと共に骨盤調整の灯火をともしつづけてほしいと願っています。

いま、この道の第一歩を踏み出した高橋さんは、夢と希望に胸をふくらませて頑張っていることだろうと思います。

「頑張れ」とエールを送りたい・・・。

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