昭和63年開院、お蔭様で36年目を迎えました。

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足の異常ばかりかアトピー性皮膚炎や喘息まで快癒した

足の異常ばかりかアトピー性皮膚炎や喘息まで快癒した
精神的にも落ち込んだ中学時代
患者さんの治療体験報告・・・
『母娘共に「治す」ことに熱心だった!』

群馬県伊勢崎市 新川 智子さん(仮名・高校2年生)

わたしの足の異常に最初に気がついたのは母だった。それは4歳で行きだした幼稚園のかけっこの時に、わたしがバランスをとるため、手を泳ぐようにして駆けていたというのだ。 歩き方も、足首に力が入らかったので、つま先を引きずって歩いていた。だから爪が伸びなかった。膝はX脚で、転びやすかった。

(これまでは、さして気にならなかった娘の歩き方、走り方が、保育園に入り多勢の子供さんに交じっての徒競走などでの姿を見ると、異常さが際立っていて、これはおかしいと思い、さっそく太田市内の整形外科で診ていただいたのでした。しかしレントゲンの結果、骨には異常なしで、「歩くくせです」と言われました。
でも納得がいかず、桐生市のR整肢養護園に行き、問診を受け、レントゲンをとりました。また日を改めて、東京からの先生にも診ていただきましたが、やはり骨には異常がないとの診断でした。「知恵の遅れもないようだし、痛みもないので、経過を見ましょう」と言われたのでした・・・ お母さん談)

腰は骨みたいに硬かった、だるかった、疲れやすかった、寝るときはいつもうつ伏せに寝ていた、手足はいつも冷たかった、走るときはいつもビリだった。小学校に入っても同じ状態だった。いつごろからか、O脚になってきた。小学校の校医からは「側弯症の疑いがある」と言われた、様子を見ることになった。

それでも母は、毎年、夏になると東京から来る先生のところへ連れて行ってくれ、診てもらっていたのだが、初潮を迎えた小学校5年背の時に、「どうせ行っても同じだから」と言ってやめてしまった。

問題は足ばかりでなく、小さい時からアトピーで悩まされ、特に冬になると、太ももの内側がひどくかゆくなり、血が出るほど掻いていました。そして小学校の高学年からは喘息が出るようになった。中学に入ってからも成長と共にX脚の歩き方が一段とひどくなっていった。

母に腰の痛み、疲れを訴えると、塗り薬を腰にすり込んでマッサージをしてくれた。その頃から、差別といじめにあうようになった。とても苦しく、本気で死にたいと思ったこともあった。友達も出来なくて苦しかった・・・。

(このころから娘は、精神的にも落ち込むこともあり、やる気をなくし、物言いも態度もなげやりになってきました。原因は足であって、早く治してやらなければとの思いで、O総合病院へ連れていき、整形外科、小児科、脳神経内科などで診てもらい、CT、MRI等の精密検査をしましたが、やはり異常はないとのことで,「足の付け根の力が弱いかな」と言われたのでした。また大学病院の先生にも診てもらいましたが、「わからないので、治療の方法がない」と手放されて、どうしていいのか途方にくれてしまったのでした。 ・・・・・お母さん談)

足利市にある自然良能会のオザワ骨盤整体院へ行ったのは、中学2年の9月7日のことだった。母の友だちの紹介であった。治療をしてもらって、びっくりした。身体が軽くなったのだった。それに、身体があたたまっているのがはっきり感じられた。これまでのいろいろな治療では感じられなかった変化だ。「また、やってもらいたいなあ」と思うようになりました。それから、オザワ骨盤整体院通いが始まった。

骨盤調整をうけるたびに、なにかしらよくなっていくのが、自分の身体ではっきりわかった。歩いたり、走ったりする時、ももがしっかり上がるようになったので、転ばなくなった。と同時に、靴のつま先がすれなくなった。それと、自分でもおどろくほど学力がアップしたことである。記憶力が増大した。学校が楽しくなった。

高校に入ってからは、友だちもたくさんできたし、毎日が楽しくてしようがないです。とても充実していまーす。将来、保育士になろうと思い、それを目指してただいま勉強中です。これからもよろしくお願いいたします。
平成14年2月・記

院長より

『母娘共に「治す」ことに熱心だった!』
娘のためにとお母さんも骨盤調整技術を学んで・・・

新川智子ちゃんが、お母さんに付き添われて私の治療院へ初めて来たのは、平成11年9月7日でした。智子ちゃん、中学二年生の秋だった。小さい時からの足の動きが異常で、いろんな病院をまわって各種の検査をしたが、いずこも「骨には異常ナシ」という診断で、しばらく様子をみましょう、との答えが返ってくるばかりだったそうです。当然「よくなる」ことはない。そして、つまるところは、「原因不明だから、治す手立てがない」と見放されるのでした。それでもお母さんは「なんとかして、娘の悩みを解消させてやりたい・・・」

と必死であれこれ模索している時に、知り合いの人が、「骨盤調整という治療を受けてみたら・・・」と私のところを紹介したのだというのです。新川さん一家が住むのは群馬県伊勢崎市。私の治療院のある足利へは県を越えるようですが、当院は群馬県の桐生、前橋に通じる国道50号線に面するところにあって、県をまたぐといってもさしたる時間もかけないで来れるので、群馬県からの患者さんも結構多いのです。私は、初診できた患者さんには(以前に本誌で紹介されたように)骨盤調整・骨盤矯正の何たるかを、懇切に説明することにしています。まず治療法の本質を理解してもらうことは、それからの患者さんの治療に対する心構えがまるで違うからである。二人に問診で治療理論を説明した後、触診に移った。智子ちゃんの状況とお母さんのせつない思いがわかったのだから、それに応えて、

(なんとかしなければ・・・)

と思って状態を診たが、腹ばいにしてみた智子ちゃんの身体は、どこも硬く、そして冷たかった。十代半ばの娘さんの身体ではない。とくに両足首がひどく硬いのが印象に残りました。ともあれ調整治療をした。治療が終わると、智子ちゃん、身体が軽くなっている、それにぽかぽかと温かくなっている、と言い、驚いた表情をしていました。そして、智子ちゃんとお母さんの治療院通いが始まったのです。二人が通い出して一週間ほどたったとき、私はお母さんに、「ただ付き添ってきて、治療を漫然とみているだけではなく、お母さんもこの治療を覚えて、家で智子ちゃんを調整してあげると、治りがより早くなりますよ」と勧めたのであります。お母さんは当初、唖然とした顔をしていました。どこの治療院でも、自らの治療技術の一部始終を手取り足取り教えるところはないからで、それを私が指導すると言ったのでびっくりしたようでありました。

だが、そのことは私ばかりではなく、「この治療を教わりたい人は誰にでも懇切丁寧に技術指導をする」その精神を形にしたのが、会長先生が行っている「骨盤調整講習会」である。中には同業異種の治療師もひそかに習いにきているが、五味会長は意にも介さず隔てなく指導している。そうした講習会こそ骨盤調整の真骨頂ともいえるもので、裏返せば他に比肩しうるもののない治療法との絶対の自信があるから、誰にでも技術のノウハウを教えるのである。私もこの治療法に魅せられて講習会に通い、今日の自分があるのであり、他の治療をしていた人も骨盤調整・骨盤矯正に転向した例はいくつもあるようです。

お母さんはそんな私の話を熱心に聞き、自分もやってみようという
気持ちになったのです。

「一度に全てをマスターしようと思っても無理だし、微妙な呼吸の難しい技もある。だからできるものからひとつずつ覚えていき、それを家に帰って智子ちゃんに施してあげればいいのですよ、かならず効果があります」それだけ凄い治療法なのです。そういう私の言葉にお母さんは頷き、技術を体得しようと必死な面持ちになったのでした。それからは、お母さんは私が智子4ちゃんを施術する時、その横に座って真剣な、そしてやさしい眼差しで見つめていました。それが毎日つづいた。最初のうちは、成果がよくわかり、こちらの定休日が入ると歩き方がまたもとのように悪くなるといい、毎日の通院を楽しみにしていたようです。

智子ちゃんは、その他にアトピー性皮膚炎があり、それに喘息持ちであった。足や手には、はっきりわかるほどのアトピー症状が出ていた。そして、時々気になる咳をすることもありました。毎日施術を楽しみに来ている新川さん母子であったが、10月12日、喘息の発作で休むと電話が入った。電話のむこうで、施術を受けられない残念な気持ちが話し声に表れていました。施術をつづけていると喘息も良くなると、次の治療の時に話をしましたら、本人もお母さんもうれしそうでした。12月に入り、今まで、腹ばいにするとお尻が持ち上がっていたのが、上がらなくなり、少しずつ成果があらわれてきました。足首、膝関節の方もずいぶん軟らかくなり、仰向けから楽に起きられるようになったと、当人は喜んでいた。そして、今まで足の外側をついて歩いていたのが、足全体がつけるようになったと、やはりうれしい報告を受けた。智子ちゃんはとにかく明るい子で、よくしゃべる。学校のこと、家庭のこと、なんでも話してくれました。

その後も喘息の発作で休むことが数回ありましたが、「大丈夫、かならず治るよ」と本人に話して、安心したようでした、アトピーの方も相変わらずで、特に冬はひどいということであった。施術しながら手首にバンド、大腿部にバンド、膝に、足首にと、家でもどんどんバンドを巻くようにと改めて指導しました。

平成12年3月。新川さん親子は毎日熱心に通院してくれました。智子ちゃんは最近、仰向けで寝られるようになった。以前より足をひきずらなくなったという。患者さんの少ない時に、お母さんに骨盤調整の指導をさせてもらいました。当人に実際にやってもらい、いろいろとアドバイスをしました。お母さんは一所懸命でした。10月。学校の合唱コンクールで歩いている姿が以前よりずいぶん良くなった(他の子と比べても)と、お母さんがおっしゃいました。ここのところまた喘息の発作で休むことが多く、そして治療から遠ざかると歩き方が悪くなってくるという。だが、ここが峠の胸突き八丁みたいなところで、そこを克服しなければ完治はないですよという私の言葉に、お母さんも頑張りどころとよく承知しているようでした。

そして、14年8月、喘息は完全に治った。実際には昨年の春から発作はおきておらず、咳も出ていない。アトピーの方もほとんど治っていて、以前のジクジクした跡が残っている程度であった。足の方は、これからも治療をつづけなければならないが、智子ちゃんの持ち前の明るさと、お母さんのやさしさで頑張っていきましょう。

先日、治療所へ来た時、お母さんが、こう結んでくれました。「少しずつ良くなっているのがわかります。」と。「希望」が「確信」になったというのです。

 

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