昭和63年開院、お蔭様で36年目を迎えました。

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先天性股関節脱臼

先天性股関節脱臼 -難病に前向きに挑んだ闘病記-

先天性股関節脱臼 -難病に前向きに挑んだ闘病記-
患者さんの治療体験報告・・・
『三度の手術の勧めを拒みつつ耐えた歳月!』


群馬県館林市 桑野 芳子さん(仮名・50歳)

私は、足利の小澤先生にお世話になり1年3ヶ月になります。そこに至るまでの過程を、少しお話したいと思います。
私は両足とも先天性股関節脱臼でした。母は、私が5番目の末っ子であり、子育てに忙しかったのでしょう、同じ年の子が歩き始める頃になって初めて、「この子の足はおかしい」と気づいたそうです。それからは、私の足を治すために、電車で片道30分かかる道のりを、私をおぶい、整形外科に熱心に通ってくれました。足を石膏のギブスで固定し、それからマッサージ、リハビリと、どのくらいの期間通ってくれたのか私の記憶にはありませんが、とにかく子供の頃は、何の不自由もなく過ごすことができたのでした。

むしろ活発な私は、4歳から13歳までを洋舞を習い、中学での3年間はバスケット部で毎日練習をし、他のスポーツも負けず嫌いの性格も手伝って、そこそここなすことが出来、いつしか自分が先天性股関節脱臼であったことさえ、すっかり忘れていたのです。成人になり就職をしてから、ハイヒールを履き、立ち仕事ということもあり、疲れると時々足の付け根に鈍痛を感じるようになって、ふと忘れていた股関節の脱臼を思い出したのです。
それでも、痛みが続くこともなく、日常なんら支障もなかったので、特に気にしませんでした。それから、結婚、出産と、平穏な日々が過ぎて行きました。

昭和55年私の実家の商売を継ぐべく、主人は会社を辞め、夫婦して家に戻り、翌年、第二子を出産しました。それから少したち、股関節に痛みを覚えるようになったのです。それも以前の痛みとは違い、ちょっと向きを変えるときとか、一歩踏み出すときに、今までにないズキーンという激痛が走るのです。
脱臼をしていたからだろうか?不安な気持ちで、整形外科の診察を受けました。案の定レントゲンの結果、不安な気持ちで、整形外科の診察を受けました。案の定レントゲンの結果、先生から「あなたの股関節は形が悪いし、未発達なので手術をお勧めしますが、命に関わることではないので、今すぐでなくても良いです。でもいづれ、五十歳頃には、手術を受けるようになると思いますよ」と言われました。不安な気持ちで、整形外科の診察を受けました。案の定レントゲンの結果、先生から「あなたの股関節は形が悪いし、未発達なので手術をお勧めしますが、命に関わることではないので、今すぐでなくても良いです。でもいづれ、五十歳頃には、手術を受けるようになると思いますよ」と言われました。
でも幼い子と、慣れない家業を継いでくれている主人ことなどを考え、手術は見送ることにしました。原因が分ったので、日頃どんなことに注意して生活すれば良いか尋ねると、「足に負担をかけないよう太らないこと、荷物を持つときは姿勢に注意をし、なるべく重い荷物は持たないこと」と言われたのです。これが第一回目の手術を見送った、私29歳の時でした。

それからは、時折、痛みを感じながらも手術をする日が来るまで、上手に自分の足と付き合うしかないと思い、常にそのことを頭におき生活をするようになったのです。そして15年、子育て、家業の他、子供とガールスカウト活動を10年間やり、山へキャンプに行ったり、ハイキングをしたり社交ダンス、書道なども習い、時が過ぎて行きました。そんななか、昭和63年、父の他界、平成8年、従業員の定年退職と、私の仕事の割合が次々と増えていきました。

ところで家業ですが、肥料、飼料、穀類を扱う仕事です。私にとっては、禁止されている重い物を持つことばかりなのです。肥料は20キロ、穀類は30キロ近くもあるものですが、お客様の手前、持てないとは言えず、ついつい肩に担いだりしていました。それに加え、平成7年から11年まで、都合で主人の母が同居することになり、生命の危機を伴うような大手術で半年の入院をし、車で往復1時間かかる病院へ行ってのお世話、退院してしばらくすると、実母の痴呆が始まり、目が離せなくなりました。

仕事と家庭の両立で、1日1日を過ごすのが精一杯で、足をいたわる余裕もなく、痛いときは、シップを貼り、それでも、時には痛くて、どちらを向いても痛みが治まらず、眠れない夜を過ごしたこともありました。しかし、まだまだ他人が見ても、そう足が悪いと感じるほどでもなく、とくに疲れた時以外は跛行することもありませんでしたが、考えてみると足には相当無理をさせていたと思います。平成11年9月、長女の結婚で、準備や引越しとまた無理をし、そのころから足の痛みが頻繁になり、自分でも、歩くのに不自由を感じるようになってきました。

11月、二度目の整形外科訪問です。初診、股関節専門の日に、再診さらに大学病院の先生の予約診察を受け、「あなたの股関節は、もうこれ以上悪くならないというところまできているので、すぐに手術の予約をして下さい」と言われたのでした。覚悟はしていたもののショックでした。痴呆の母の世話をする人がいません。先生に事情を話すと、「あなたの足ですから、我慢できるのだったら頑張ってみなさい。ただ、杖をついて歩くこと、重い荷物は持たないこと」などと注意され帰宅しました。これが、二度目の手術を見送りました。私、45歳の時です。

それからは、市販の骨盤ベルトを何種類も買い、軟骨が増えるからと、干えびを粉末にして飲んだり、健康食品も、キチンキトサン、グルコサミン、カルシウムと、とにかく骨や関節に良いものを摂取して、骨盤体操なども試してみたり、一日でも手術の日が遅くなるよう願いながら、仕事と痴呆の母の世話、六回の入退院の看病と、まさに戦いの日々が四年半続きました。とくに母が寝たきりになった後半二年間は、おむつ交換、着替え、車椅子への移動等々、どれをとっても足に負担がかかることばかりです。もう、とっくに限界を越え、気力だけで持ち堪えていたようなものです。

平成15年6月、母が亡くなり、痛み止めを飲み葬儀を済ませ、それから四十九日、八月新盆、九月初彼岸と来客も多く、足をひきずりながらの日々でした。折悪くし、商売も10月11月は年間で一番忙しい時期で、そのころは、毎晩、足に電気按摩をかけ、湿布を何枚も貼り、それでも翌朝、痛みも疲れもとれず、家のあちらこちらを捉まりながら歩き、家事も、仕事も、最低限やっとこなす状態になってしまいました。左足がとくに悪く、痛いのでいつも浮かしていないとならず、当然、右足に体重がかかるので、そのうち右の付け根まで痛みが出るようになってしまったのです。

このままでは歩けなくなってしまうかも知れない、という一抹の不安を胸にかかえ、自分を慰めるのです。生まれつき障害を持っている人もあるではないか、今まで好きなことをし、楽しいことも沢山できたのだから、そんな自分を幸せと思わなくてはいけない、と。でも、足は、悲鳴をあげています。そろそろ手術を受ける時期がきたようです。

ところが翌平成16年2月、家の新築の計画があり、準備を進めている最中でした。手術をしたら歩けなくなるかも知れない、家が建つまで、何とか足をもたせよう。マッサージに行こうか、整体にしようかと考えている時、骨盤調整・骨盤矯正と書いてあるオザワ骨盤整体院の宣伝広告が目に止まったのでした。

「これだ!!」その広告を見た瞬間、そう思ったのでした。ここへ行ってみよう、と。

平成15年11月6日のことです。すぐにオザワ骨盤整体院に予約の電話を入れると、休診日にもかかわらず診察して下さるとのことでした。私は、不安でドキドキしながら、車で約30分、足利市の治療院に着きました。治療所へ入るとすぐが待合室。そこの書棚でます目に飛び込んできたものは、五味先生の股関節脱臼の本でした。それを手に取り、ひろい読みしたのですが、そこに書かれていた文字は、これまでにない刺激的で、具体的な説得力に充ちたものでした。

そこに書かれていた文字は、これまでにない刺激的で、具体的な説得力に充ちたものでした。小澤先生は丁寧に身体のメカニズムから骨盤調整の原理まで説明をして下さりましたが、それは五味先生の著書にある光り輝く言葉そのものでした。それから、「バラコンバンドを巻きます。肩幅に足を開いてください」と言われたのです。でも足が開きません。左足はまったく開かない状態になっており、長さも4センチ弱短くなっていたのです。だからバランスが悪く立っていられないので、先生の肩をおかりし、つかまってバンドを巻いてもらいました。

その時、なにかキュッと身が引きしまり、身体が軽くなったような気がしました。一回目の治療がすみ、さっそく気になっていた書棚の本を買って帰り、改めて一気に読みました。感動しました。なによりも、先天性股関節脱臼は手術しなくても治る、と明言されています。(よし、手術をうけずにしばらくこの治療法に賭けてみよう・・・)と決心をしたのでした。それで三回目の手術を見送ったのです。私が、間もなく50歳になる時でした。そして、小澤治療院通いの始まりです。とはいえ、仕事をしながら治療を受けるので、毎日はとても無理でした。そこで週に三回と決め、夕方早目に仕事を切り上げ通うことにしました。

ようやく自分の身体に目を向けることができ、じっくり観察してみると・・・・・。左右の骨盤の位置が全く違い、悪い方の左側は上になっていました。左足の太ももは三センチ細く、おしりに肉がない。正座すると膝頭が揃わず、骨盤が左後方によじれている感じがするし、左の大転子がとび出ているなどの症状が自覚できました。従って、ここ近年の間にできなくなった動作がたくさんあります。足の爪が切れない。靴の紐が結べない。直立しておじぎができない。足踏みができない。左片足で立てない。自転車に乗れない。風呂マットのような薄いものにもつまずく。交互に足を出して階段が昇れない。車の乗降椅子から立ち上がるなどの動作が困難、早足かけ足、後方歩きなどなど、まさにナイナイ尽くしで、今までなにげなくしていた日常動作が、次々とできなくなって今日に至り、歩行さえも苦しみとなっていたのでした。

自然良能の月刊誌のバックナンバーから、股関節に関するものをすべて取り寄せ、自分と同じ症状の方が沢山いて、骨盤調整によって回復されたことを知り、希望と勇気がわいてきました。ただ、股関節脱臼は治癒期間がかかり、「やっかいな難症」であることも充分理解できました。本来、毎日通院できれば回復も早いのでしょうが、仕事をしながらの治療です。あせらず、じっくり構えることにしました。さて、いよいよ治療の経過をお話ししたいとおもいます。

通院を始めて、三ヶ月くらいは、本当に大変でした。なにしろ今まで整体や、マッサージと名のつくものを受けたことはありません。肩もみすらされるのが嫌いでしたから・・・。治療を受け、家に帰り、夕飯を取るとすぐに眠気がさして、後かたづけもせず、二時間くらいぐっすりと寝入ってしまうのです。翌朝も、全身がだるく、なかなかエンジンがかかりません。時には身体のあちこちが痛くて、歩く姿も見られたものではありませんでした。今までに気付かなかった人にまで、

「奥さん、足どうしたの?」と聞かれ、これはもう腹をすえるしかない、「ええ、いま足が不良品なので修理中なんです」と、巻いてあるバンドを見せるのです。だいいちここで止めたら、後は手術しかないのだ、頑張ろう、これは好転反応だろうと自分を励まし、また先生の治療の効果が無にならぬよう、自分でも努力しました。

朝、昼、夕、晩と一日四回骨盤運動をするのですが、左足が短いので、座布団やタオルを置いて工夫をし、しっかりと机や手すりをにぎって行うのです。バラコンバンドも、トイレ以外は昼も夜も、苦しくならない限り股関節巻きをしていました。その他、血液の循環が良くなるよう、股関節が少しでも開くよう、毎晩ストレッチをつづけました。四ヶ月も過ぎると身体が少しずつ軟らかくなり、つまづきが少なくなって、少しの段差なら苦にならなくなってきました。

それからは、常にできるようになったちょっとしたじぶんの動きを見逃さず、三歩前進、二歩後退、それでも前進している一歩に目を向ける前向きの精神で通院をつづけ、すっかり生活のリズムになってきました。六ヶ月を過ぎるころは、顔馴染みになった患者さんとおしゃべりもするようになり、通院が楽しくなってきたのです。驚いたのは、自転車に乗れるようになったことです。痛くてつけなかった左足がすっと伸び、下に届くのです。正座をした時、膝頭も揃うようになり、家事や仕事も、少しずつ楽に動けるようになりました。

相変わらずベルトは巻いたままですが、当初本を見ながら、いろいろな巻き方をするのに時間がかかっていたのも、もうすっかり慣れ、その日の足の調子に合わせて巻き方を変えたりと、身体の一部になってしまいました。骨盤運動も左右百回をセットにして、一日四~五回行うようにしました。細くなった左太ももにも張りが出てきて、左足に力がついてきたようなので、例えば、右足で段を上がったら、次は左足というように、左右平均に足を使うよう意識しました。6月には、母の一周忌を無事すませ、知人の結婚式にもドレスを着て、ローヒールを履いて出席することができました。

9ヶ月目に入った七月、小澤先生の勧めで五年ぶりに、整形外科でレントゲンを撮ってもらうことにしました。どんなことを言われるだろう?ドキドキしながら診療室へ入ると、偶然五年前に診ていただいた先生だったのです。レントゲン写真を見て、「5年前とそう変化していないようです」とのこと。骨盤調整に通っていることをお話しすると、「今のところ手術しなくても、この調子で足に筋肉をつければ、痛みも少なくなると思いますので頑張りなさい」と言われたのです。レントゲンのコピーも気持ち良く下さいました。本当にうれしくて、さっそく小澤先生にレントゲン写真を持って報告しました。治療を受ける前のひどい状態だったら、きっとすぐに手術を勧められたに違いありません。気になっていた左右の足の長さも1センチくらいの差になりました。

小澤先生も常に、足や股関節を中心に、工夫を凝らした治療をつづけてくださり、歩くことも少しずつ楽になってきて、買い物に行くことも億劫でなく、一日の疲れも以前とまったく違います。湿布もほとんど使用することはあしません。8月、新築の家が完成し、家業の忙しい十月からは、週二回の治療に切り替えました。16年11月8日、治療開始1年、治療回数130回になり、このころから左のポッコリ出ていた大転子も気にならない程度になり、細くなっていた左太ももは三センチ増え、臀部もふっくらとしてきました。椅子から立ち上がるときの痛みも少なくなり、車の乗降も楽になりました。階段も手すりを持ってですが、交互に足が出せるようになったのです。不思議なことに、足の裏のタコが消えてきました。

12月、我家の年中行事「もちつき」も、20人のお客様を招き、一日中立ち通しでしたが、なんとか接待することができました。年が明け17年1月には、友人と電車で一泊の温泉旅行にも出かけ、友人から、「足がずいぶん良くなってきたわね」と褒められ、自分でも、体力の回復に驚き、自信が持てるようになりました。治療回数150回を超え、ようやく手すりなしで骨盤運動が行えるようになり、まだ跛行は少々ありますが、あちらこちら捉まりながら、やっと歩いていたことがウソのようです。

今では、着々と快方にむかっていることを身体で感じながら、自然良能会の骨盤調整という治療法と、小澤先生に出会えたことに感謝をし、近い将来、きっと以前のようにスタスタと歩けるようになる日が来ることを確信して、今も治療継続中です。           平成17年2月・記

 

院長より

難病に前向きに挑んだ闘病記-
プラス思考の努力で治る手応えを確信し・・・

今回、手記をお寄せ下さいました桑野さんが、初めて当院に来られたのは平成15年11月6日でした。私と桑野さんとの話し合い、そしてご家族と相談の上、週三回と決め熱心に施術を受けに通ってきてくれました。先天性股関節脱臼が「やっかいな難症」であることは十分理解できたと述べてあるように、本人には時間をかけて治していくのだという姿勢が如実に現れていて、少しでも良くしたい、少しずつでも楽になれば良いのだと自分自身に言い聞かせていたといいますが、「通院を始めて三ヶ月くらいは本当に大変でした」といっています。その間の(手記を読ませていただくと)本人の努力は相当なものだったのだなと感心をしました。

桑原さんは施術に対しての、懐疑や不安な表情は一度も見せたことがなく、常に前向きでした。プラス思考の方でした。すぐに良くはならないのは十分承知していると言いながらも、「こういうことができるようになった、こんなことも以前と違う、ここが良くなった、あそこも良くなった・・・」と言われると、こちらとしてももっと楽にしてあげた、もっと良くなってもらいたいと思うのもまた人情であります。
バックナンバーを自ら取り寄せ、そして夢中で読み、希望と勇気が湧いてきて、さらに施術を続けようと思った時、今度は私の番とばかりに一気に書き上げてくれた手記です。自分もバックナンバーを読み励まされた、だから今度は自分が書くことによって皆さんの励みになれば、勇気を出してもらえばとの思いで書いたのでした。このときばかりは、一瞬こちらも目頭が熱くなってしまいました。

縁あって、当院へ通うようになりましたが、それまでのご苦労、そして施術を受けるようになってからのご自分の努力は、並大抵のことではなかったと思います。しかし、そんなことは微塵も感じさせない桑原さんでした。いつも笑顔で、元気良く、他の患者さん達にも気軽に話しかけてもらい、治療室を明るく、楽しくしてもらっています。通院にご理解のあるご主人やお嬢様の協力があってこそなのだと思いますが、どうかこれからも、もっともっと良い結果がでるようにお互いに希望を持って頑張っていきましょう。

先天性股関脱臼・・・・・本当にやっかいな難症です。長い年月をかけて悪くしたものですから短期間で成果が出るものではありません。それこそ何年も何年もかかる症状です。現代医学(整形外科)では、この症状は治せません。なぜなら根本原因である「骨盤」を無視しているからです。

骨盤が歪んで一方に傾けば、上方に変位した方の足が短くなるのは当然です。その狂いが左右両方の足に負担をおわせ、より悪くしていくものです。現代医学は単純に両方の長さをそろえるために、長いほうの骨をけずったり、脱臼癖がついて擦り減った骨頭を人口骨頭に着け替えたりと、実に乱暴な手術をします。

それでも(当然のように)治らなくて、我々の骨盤調整を頼ってくる例が多くあります。骨盤調整ではかならず結果を出します。ただ股関節脱臼だけは、変化が出るまでかなりの期間がかかりますので、患者さん自身がなかなか成果の見えないことに焦れて、あきらめて治療をやめてしまう例があります。

その点、群馬県館林市から通ってきた桑野芳子さんは、大変まじめな頑張り屋さんでした。前向きなプラス思考で対処し、難症といわれた股関節脱臼を克服された人です。

この症状を治すには、なによりも患者さん自身の根気と努力が必要です。同時に私たち治療家の努力、患者さんを少しでも良くしてあげたいと励む姿勢が大切だと、桑原さんの治療を通して改めて痛感したのでした。

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