昭和63年開院、お蔭様で36年目を迎えました。

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点頭てんかん・ウエスト症候群

点頭てんかん・ウエスト症候群の幼児が驚異的回復を

点頭てんかん・ウエスト症候群の幼児が驚異的回復を -

『病院で知恵おくれで身体不自由のままと宣告されたのが
骨盤調整で見違えるように元気になった驚異の証明!』

群馬県桐生市 根岸 順くん (仮名・1歳)

根岸順くん(仮名)は、平成8年1月29日生まれだから、ミレニアムの2000年で4度目の正月を迎えたことになる。そんな順くんが私の骨盤整体院へ初めて来たのは、平成9年2月10日であった。満1歳になったばかりだった。順くんの住む群馬県桐生市は、県違いとはいえ、当院が面している国道50号線を車で来ればすぐのところである。初診で来た時の順くんは、顔面蒼白で、眼がとろんとしていて焦点が定まっていなかった。立てない、座れない、寝返りがうてない。身長、体重は平均値なのだが、身のこなしはとても1歳になった子供とは思えなかった。生後5ヶ月くらいだと病院で言われたという。診れば、頸も背中もパンパンに硬い。骨盤(仙腸関節)は大きくズレている。

実は、順くんのご両親はその2年前(平成7年)から、私の整体院に通っていたのだ。当初、お母さんが腰痛、生理不順、不妊症等々の症状で通ってきて、週1回のペースでの治療であったが順調に成果をあげていた。同じころ、お父さんも頸、肩、腰、臀部等の異常を訴え、通院をはじめたのである。そしてお父さん、お母さんの経過をみて、祖父も祖母も通いだし、根岸家総出で当院でで治療を受けることになったのだ。 順くんのお母さんは3年ほど前に一度妊娠したが、流産したという。そのお母さんが平成7年2月から当院へ通い始め、6月30日に治療に来た時、妊娠8週目であると、喜色満面の表情で報告したのであった。予定日は平成8年2月10日であるというが、実際には1月29日にめでたく出産したそれが順くんである。

根岸ご夫妻は夏ごろから順くんを連れて治療に通うようになったが、畳のある待合室で順くんを横に寝かせていたが、どうもこの赤ちゃん、泣くでもなければ、身体を動かすわけでもない。そんな様子が何回かつづいたのだったが、ずいぶんおとなしい子だな、と思う程度でさして気にもとめなかった。その後も順くんを連れてご夫婦で、時にはお母さん一人で治療に通ってきていたが、11月に入って、ピタッと順くんの姿を見なくなってしまった。(ハハァー、おうちでお祖父さん、お祖母さんが面倒をみてくれているんだな・・・)と、私は思っていた。だが、年が明けた平成9年に入っても、順くんは姿を見せなかった。

「順くんは元気ですか?」ある日、治療に来たお母さんにそう聞くと、根岸さんは、かぼそい声で、「はい・・・」と、一言だけ答えたように記憶している。その根岸さんから電話が入ったのは、2月9日のことであった。それで初めて知ったのであるが、順くんは実は平成8年11月19日から翌年の2月4日まで、入院していたというのだった。
病名は、点頭てんかん・ウエスト症候群であった。

 

点頭てんかん・ウエスト症候群とは、だいたいは1歳以下の乳児に起きる癲癇であって、手足を急に突っ張るように伸ばしたり、抱っこしているときに首をこくんと頷くようにする発作が、何秒間かの間をおいて繰り返し起きて、それが何分か続くこともあるという。脳波検査を行うと、特徴的な波形が現れ、発作時以外でも常時出てくる。順くんも足を突っ張り、首を振る、舌を出してさわる等々の発作を繰り返していた。 入院中は投薬、注射を一ヶ月半つづけたという。大学病院の担当の医師に、「良くなる可能性もあるが、だいたいは知恵遅れになり、身体は不自由なままでしょう」そう言われたと、お母さんは電話の向こうで涙声で話し、「先生のところの骨盤調整で治りますか?」

と訴えたのである。唐突にそう言われても、気安く「治ります」と請け合うわけにはいかない。だが根岸一家との縁もあり、私自身、誠心誠意対処しようと、「ともあれ明日にでも一緒に連れてきてください」と答えて電話を切ったのであった。翌日、治療に来たお母さんからまた詳しく話を聞くのだが、やはり自然と涙がこぼれるようで、泣きながら病院でのこと、あちこちの治療院のこと、これからのことをせつせつと話すのであった。順くんは、前述したような状態で、虚ろである。さっそく順くんの骨盤調整を始めたわけであるが、短期間に劇的な成果があがるとは私自身、当初は予想してはいなかった。

 

さっそく順くんの骨盤調整を始めたわけであるが、短期間に劇的な成果があがるとは私自身、当初は予想してはいなかった。
初回、頭は寝癖のためか、歪に変形していた。まずは全身の指圧を始めたのだが、骨盤(仙腸関節)は硬くて指先が入らない。足の各関節も硬くて動かない。背中はさしたることもなかったが、首も硬くて入らない。顔色はすごく悪い。真っ白であった。ところが翌11日には、両仙腸関節がにぶい音を立てながら入った。お母さんは真剣である。毎日治療に連れてくるという。

2月14日。力が出てきた。顔色も良くなった。少し寝返りを打つ。自分から抱っこを求めてくるという。母親は先日とはうって変わってうれしそうに報告する。
2月15日。やはり顔色は悪い、動きも悪い。よく泣く。仙腸関節、入らない、両頸椎も入らない。だが、無理に調整はしないようにする。
2月17日。最近、自分の髪をひっぱる、力が出てきた。両仙腸関節、きれいな音をたてて入る。
2月18日。動きがすごく良くなってきた。泣き方も弱くなってきた。顔色がものすごく良くなったと、その日一緒に来ていたお祖母さんも大変喜ぶ。「前は、どうしてこの子はこんな青白い顔をしているのかと思ったものです・・・」
2月22日。順くん、仰向けに寝ているが、足が軽く動いている。動きは、また良くなっている。お祖母さんが言う、

「血の流れを良くすれば良くなりますよね」と。治療に入る時にうつぶせにすると、腰が力強くなってきたのがわかる。首も大きく上がるようになってきた。仙腸関節は両方ともきれいな音をたてて入る。両頸椎もきれいに入る。腰椎も胸椎も・・・。
2月24日。顔を見せたお母さんが言うには寝返りを何回もうつようになった、首もだいぶしっかりしてきた。うれしくて、順くんのそんな様子をビデオに撮ったという。病院のリハビリの先生にも、体がすごくやわらかくなったと言われたと報告した。その日の順くんは治療中まるで泣かなかった。身体を動かしながらニコニコしている。そして、仰向けで寝た状態でおしりを持ちあげている。一段と腰に力がでてきたようだ。

3月1日。脳波が正常にもどった。

点頭てんかんは、知能とか言葉が遅れる病気で普通は薬が効かなくなってどんどん変えていくのだが、今まで通りの薬でいく、これは珍しいケースだと担当の医師にいわれたという。私からは、様子を見ながら薬を減らしていきましょうとお母さんに伝えた。
3月4日。体を前に倒したままだが、お座りができるようになった。まだ横に倒れてはいるが、最近は治療中泣かなくなった。
3月9日。うつぶせの状態で頭、首を大きく起こすようになった。母親が言うには、最近腰を浮かすようになったし、夜泣きもしなくなった、と。
3月22日。頭の恰好が少しずつ良くなってきた。体の動きがものすごく良くなってきた。ハイハイの形をする。
4月2日。ついに、ハイハイができるようになる。待合所の畳の上で寝返りを打ったり、足を上げたり両手を叩いたりしている。顔色もすごく良くなった。
4月14日。ハイハイをしてずいぶん移動する。その後も順調に治療は行われる。
7月15日。最近よだれを垂らすようになった。新しい発見である。

8月1日。初めて立った。

9月8日。まだ少し伝え歩きだが、できるようになった。
10月18日。まだしゃべらない。伝え歩きはすごく良くできるが、一人歩きはいまだ無理のようだ。
12月9日。治療室で4、5歩あるいた。家では9歩あるいたと母親の嬉しい報告。
12月26日。片手をそえてやると、ずいぶん歩けるようになった。

そして、平成10年に入ってもとんとん拍子に良くなっていった。

4月23日。今回風邪をひいて熱が出たが、氷で冷やすだけで、発作は起きなかった(この病気は熱が出ると、かならず発作が起きるのが特徴であるという)。9月28日。すごく動きが良い。家ではエンピツと消しゴムも使うようになった。昨日は、従兄の運動会で走り回っていたそうだ。 現在、順くんは2歳8ヵ月。治療を初めて1年7ヵ月、今では運動能力では他の子どもに完全追いついた。

平成11年に入ると、2月19日、先日病院で、言葉は少し遅いがその他は標準なみと言われた。母親が言うには、「見ていても他の子とまったく見劣りしなくなった」と、大変喜び、4月から幼稚園へ行くことになったとうれしい報告を受ける。
以前から治療に来ていたお祖母さんは、「子どもは治りが早いね」と何回も何回も言い、喜びを隠せない様子であった。その後、元気に幼稚園へ行っている。今は月に1回か2回、元気な顔を見せてくれる。そして治療を受けていく。6月12日。父親はこう報告してくれた。今でも薬は出ているが、もう一年以上飲んでいない。においがわかるようになって、本人がいやがるからだと。しかし、発作は一度も起きていない、と付け加えた・・・・・。


(このページは院長の治療日誌からです)

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